過激派ゴリラの戯言

映画とか舞台など未来の自分への記憶保管用ブログ。

映画:哀愁しんでれら

2021年2月22日 21:40〜

【追記 2021年2月24日:職場の人に考察きいたら自分のしたためた感想が三下すぎてはわわ...ってなった。ストーリーについてのとこ全て書き直す。】

 

仕事終わりに車飛ばして観に行った。1番近い映画館が県外という状況、そろそろ終わってほしい。(異動あるといいな〜!!!!!!!!!)

 

面白かった!前回の「名も無き世界のエンドロール」の“面白かった”は2時間を1000円強使って1人で時間を潰すのにちょうどいい感じという面白かっただが、今回の“面白かった”は同じ映画観た人とここのシーンすごかったね〜と感想を言いたいという感じ。語彙力がないので私の言う“面白かった”は色んなフレーバーがあると思ってほしい。

作品の傾向としては湊かなえとか東野圭吾だと思う。少々よく分からない部分もあったがきちんとオチのある作品で好きだった。

 

  • キャストさんについて

子役のCOCOちゃんがとても演技が上手だった。調べたらインスタグラマーらしく今回が初めての大きい役のようだったが怪演という言葉が実に合う。子役さんでもここまで表現できるんだと感心した。

主演として土屋太鳳さんと田中圭さんが挙げられているが、トリプル主演としてCOCOちゃんも連ねた方が絶対良い。

とにかくすごい。児童特有の癇癪があまりにもガチすぎて本当に癇癪を起こしているんじゃないかと思ったくらい。

他作品で子役さんの演技ってやっぱり浮くな〜でも仕方ないことだよなと思っていたが年齢とかではなく演者によるな。

これはキャストさんへの感想じゃないけど、女児と冠婚葬祭が大好きな私にとって、結婚式に参列する女児や葬式に参列する女児が摂取できて楽しい気持ちになった。

 

小春を演じる土屋太鳳さんについて、今まで土屋さんってハマり役ないなと思ってたけど小春はかなり合っていたように初めて思った。映画公式ホームページを見たらキャスコメで要約すると最初は役を断ったが4回オファーされて受けたとあり驚いた。

大悟を演じる田中圭さんについて、安定の田中さんって感じだった。綺麗に身体鍛えてんなって思った、田中さんことあるごとにドラマとかでも脱がされてない?焼肉シーンで小春を追い詰める時のモラハラ演技がやっぱうまかった。

 

  • ストーリー以外の点

個人的に服装がけっこう印象的だった。

まず小春について。自立している時(働いている時)の服装はHoneysとかearthって感じ。大悟と付き合い初めてからikkaとかindexとかちょっとキレイめに落ち着き、結婚後はHERMESやFOXEYのシンプル目だけど価格帯がガンと上がった感じだった。メイクや髪型は変わってないのに自立している働く女性から若奥様へと変貌を遂げた。

次に服装の色遣いについて。入籍シーンで小春→黄、大悟→青、ヒカリ→赤で三者三様に鮮やかな服装の中、婚姻届の窓口の人は黒スーツでどよんとした雰囲気をまとい空は曇りに曇っていていかにも世界の調和から外れていますといった印象を抱かせた。私は青黄赤の3色で信号機をイメージし、なにかの暗喩になっているのかと考察したがあんまそんな感じではなかった。だが服装でかなり描写力が高まっていて観ていて楽しかった。私が気づかなかっただけで多分暗喩もあるのではないかと思う。

ラストシーンに向けての学校への殴り込みでは、小春と大悟は初めて夫婦でペアルックのような赤黒で統一した服装になっていて、「あ、ここでこの夫婦完全に変わったな」というのが分かった。

他にもタイトル通りシンデラから連想される水色のワンピース(ドレス)やハイヒールがキーアイテムになっていたりと見応えのある服装が多々あった。

 

 

  • ストーリーについて

 

【追記 斜体文字部分読み飛ばしてくれ】

 

この映画について観る前は、数年前のドラマの「過保護のカホコ」の竹内涼真さんがサイコパス田中圭さんになったような内容だと思っていた(どんな内容?)。

蓋を開けてみると、上述の通り湊かなえ東野圭吾のようなおも〜く喉に引っかかるストーリーだった。

小春がシンデレラストーリーを切望(映画内で切望とまで言及はしていないが私はこう解釈している)するなか現実は相反していたというもの。ちなみに小春の“不幸”は冒頭だけでもこれだけ描写がある。

・母親が幼少期自分を置いて出ていく

・仕事に熱心だが成績がふるわない

・妹の軽い反抗期

・金銭面での苦労(妹の進学)

・祖父が風呂場で倒れる

・自営業の家が燃える

・父が職を失う(自営業の自転車屋部分が燃えたため)

・10年付き合っていた彼氏が職場の先輩と浮気

・父に持病がある(糖尿病)

 

 

めっちゃかわいそう。

上記のことが1番上と下以外大悟により解決するので(大悟は開業医で父に仕事を紹介したり妹に勉強を教えたり祖父を良い病院へ転院させたりした)まさにシンデレラストーリー。

まぁ、大量無差別殺人を起こすのでプラスマイナスゼロどころかマイナス5那由多だけど。

 

この映画の大きなポイントはやはりヒカリの天性のサイコパスである。ハイティーンや成人のサイコパスオチはよくあるというか、ぶっちゃけつまらないオチだが(急な他作品disだがあな番の最終回とかすごくガッカリだった)本作では“8歳の女児が悪気もなく殺人を犯す”ということを平然としてのけた。

私は今まで「サイコパスオチなんてサイテー!」というスタンスだったが8歳という絶妙な年齢設定はぜひ他作品でも流用してほしい(?)。善悪の無責任な判断や癇癪、倫理観の欠如が8歳という絶対的不可侵の守りで覆われているのが良い。信じられるのは声変わり前の幼子だけ。(これはただの私の癖(へき))

 

最初は大悟が超絶モラハラ夫兼毒親だと思っていたが(特にヒカリと小春の入浴シーンでヒカリが小春の女性器を触りたがるシーンや、夫婦の営みが始まる直前に寝室にやってくるシーンで私は大悟がヒカリに性的虐待をしているのではと思いゴミを見る目で見ていた。別にそんなことはなかった。夫婦の営み直前への襲来はギャグシーンとして、小春の女性器を触りたがったシーンは未だに意味が分からない(赤ちゃん返りの一種?))、ただのモンペでヒカリのサイコパスに当てられただけの被害者だった。被害者に収まらず大量無差別殺人を行うので同情はできないが。

 

他にも色々感想を連ねたいがめっっっっちゃ長くなりそうなので最後に一点だけ。

 

この映画のオチは「サイコパスは感染する」であったと思う。小春と大悟の夫婦はまさしくそれであり、また眼鏡の女児もそうである。

眼鏡の女児についてはこの映画で未だに意味のわからない点のひとつであるが、おおよそあの子もヒカリに当てられたと思われる。

小春と大悟は当然実刑が下ることになると思うが、なにも行っていないヒカリは無罪放免でそのままのうのうと生活しまた第二第三の事件を起こ“させ”ていくのだろう。

 

上記の斜体文字は全て初見当時の三下感想。

以下、追記。

 

ヒカリ、サイコパスじゃない説

職場の人にきいて「まっさか〜」と思ったが、ヒカリがサイコパス出なければ眼鏡の女児の行動について大いに説明がつく。

この映画のオチは「サイコパスは感染する」であったと思う。小春と大悟の夫婦はまさしくそれであり、また眼鏡の女児もそうである。

雑魚の感想すぎて引用しただけで体温5度上がるわ。

サイコパスが感染するわけねぇだろ!

整理のため己の恥知らずな感想と職場の人の考察を書き連ねる。恥ずかしすぎてフーゴになりそう。IQ高まるわ。

 

私の初見のストーリー考察(感想)

・ヒカリがサイコパス(殺人の犯人)

・大悟はモラハラ気味だが普通の人格→ヒカリにより気が狂ってしまう

・小春は正常な価値観を持っているが家族が自分の手に負えず壊れることを選んだ

・眼鏡の女児はヒカリの友達で正常な価値観を狂わされてしまっていた

・上記4人以外の登場人物は全て正常な人間であり、嘘つきはいない

 

ところがどっこい、そうではないかもしれない

 

前提がまず勘違うようである。

ヒカリはサイコパスではなく、大悟の言うとおりただ癇癪もちの“難しい子”なのではないのだろうか。

つまり、来実ちゃんの死は何者かの故意によるものではなくただの転落事故。

そうなるとわたるの「俺は見たんだ。ヒカリが突き落とした!」という発言に矛盾が生じるように思える。ただ、わたるが嘘を言っていたとしたら?

わたるがこの発言において嘘を言っているとしたら、眼鏡の女児からの手紙は本当ということになる。

確かに眼鏡の女児からの手紙を信じるのであれば、その手紙を読んだ小春が呆然としてしまうのにも頷ける。

また眼鏡の女児が嘘をつく理由はさしてないが、わたるが嘘をつく理由はいくらでも考えられる。

眼球打撲の原因にされる(真偽不明)、好きな来実ちゃんと話しているといつも邪魔される、筆箱を盗んでいないのに犯人にされる、親は自分を信じず謝罪を強制される、学校に大悟と小春が乗り込んできてみんなの前で問い詰められる...といったストレス要因だ。

書き連ねて思ったがよくこの子不登校にならなかったな。私だったら手が出てるかグレるかするよこんなの。

なんやかんやと書き出したが、このストーリーはつまり早とちりしたモンスターペアレントが本当のモンスターになってしまったということだ。

ヒカリについて、殺人を犯していないのであれば劇中の行動はさして問題ではないものであるということが分かる。

まず好きな子の気を引きたくて嘘をつく(筆箱やお弁当を自分で捨てる)ということ。これは劇中で小春が言っていたとおり誰もが経験の可能性がある感情である。これが異常に見えたのは“小春が手作りしたモノを捨てた”という点と、小春が必要以上に疑いまた気付いた時に隠蔽するという点である。隠蔽されるとそれはいけないこと、というイメージになってしまう。なんと上手く構成された描写だろうか。

次に葬式に赤い靴を履いていくシーン。これは完全にこの映画を観ている“大人”へのミスリードだ。映画を観ている大人にとってはお葬式に赤い靴で参列するのは許されないことであり非常識極まりないのだが、子どもにとっては靴の色なんか知ったこっちゃない。ヒカリのこの赤い靴を履く行動とは、店頭で人目を気にせず泣き叫んでゲームをねだる子どもと一緒なのである。

小春をアトリエで責め立て、大悟にチクるシーンについて。責め立て方がいかにも子どもなのだが、小春が子育て鬱になっていることから視聴者は小春に肩入れしヒカリを悪者として考えてしまう。大悟にチクるのは、大悟があそこまで激昂すると考えていなかったのだろう。そのため、出ていった小春を泣いて呼び戻すのである。

他にも「ゲームオーバーになっちゃったんだよ」や「ヒカリのこと邪魔だと思ってる!今はそうじゃなくてもいつか絶対そう思う!心のどかで1%は思ってる!」という大人を動揺させるセリフについては文字通り“難しい子”なのである。

 

ではなぜ映画の煽り文句のとおり、このような悲惨な結末になったのか。それは小春と大悟の理想の親像があまりにも潔癖であったから。

小春も大悟も実の親に裏切られた(蒸発、暴力)記憶が深い心の傷であり、劇中で何度か繰り返す「あんな親にはなりたくない」が根底にあるのだ。

だから自分は愛情たっぷりに子どもを育てたいと強く願い現実と理想のズレに狂ってしまったのである。そのズレのクレパスに落ちてしまったのは、小春が海に筆箱を投げたシーンに落とし込まれているのだと思う。

 

初見の雑魚感想でも面白い作品であると思ったが、紐解いて噛み砕くと実に上手く構成と描写、そして演技されていた作品であった。公式ホームページのコメントによると7年間脚本を練ったそうだが見事な出来栄えであった。脚本と監督が同じだとストーリーと映像化が綺麗に合致して良いな〜

 

以上、追記終わり。

 

感想としてはこんな感じ。

 

映画には全然関係ないが、今後映画を観たら1つ無印のカレーを買って帰ることにした。今回はスパイシーチキン。

無印のカレーを制覇するのが楽しみだ。