Free! Fainal Stroke
⚠️ネタバレしかない、NOT考察
Free!FSを鼻から吸ったゴリラの戯言です。
親の顔より見た真琴の右掌
真琴の右掌を見るとFree!始まったなって思います。「ちゃん付けはやめろ」は親の声より聴いた。
Free!は作品を重なるごとにオマージュやら形式美的なお決まりが多くてスタッフさんの愛をめちゃくちゃに感じる。
冒頭のビデオ撮影。考察が多く上がっているけどやっぱりなんの映像なのかはっきりとはわからない。
遙たちが3年生の時かなとは思うけど、なんのビデオなんだろう。
何より撮影時間がめちゃくちゃ長い、遙に贈るサプライズメッセージにしては2時間越えは長すぎんか?
吾朗ちゃんのメッセージは吾朗を通じたスタッフさんからのメッセージでもあるんだろうな。
吾朗ちゃんが「いつまでも、いつまでも、いつまでも」って語るところにタイトルロゴがじわ〜と出てきて、最後の「いつまでも」でFinalStorkeって文字が出てくるのすごすぎるよ。Finalだけど“いつまでも”胸をいっぱいにしてくれる仲間たちって意味がこもってるんじゃないかなと勝手に思って泣いてる。
カットが変わるシーンの白い花はコブシだろうか。花に造詣がないから分からない…
「白い花 木」で検索して一番それっぽかったけど花弁の数が違う気がして自信がない。また見るときに確認する。
【追記:10/1 公式があげてくれた冒頭10分映像で確認した感じコブシであってる?】
仮にコブシとすると、開花時期が3〜5月でみんな長袖だったし4月頃なら辻褄は合うかも。
花言葉は「友情」「友愛」「愛らしさ」「信頼」「歓迎」あたりだそう。花言葉も吾朗ちゃんがメッセージ中に言ってた
「年は離れているけど遙のことは大事な仲間だ。」
にも一致する。
余談だが私の好きな言葉に「アニメに偶然はない」というものがあって、匿名ラジオのお二人が誰が言ってたか分からんけどそういう言葉があるんすよと言っていて、私には本当に誰の言葉かわからないがそのとおりだと思っている。
特にアニメは自然物(天気、陰影、植物)をリアルよりも自由に表現できるので、そのひとつひとつに意味が含まれることになる。
だから、こういった天気や花などにも注目して京アニの素晴らしさを鼻から吸って脳みそにキメたい。
もう一点、花について真琴が神社でお祈りするシーンにも出てくるのでこれは後述したい。
待って、まだ序盤にも入ってないのにこんなに文字量あんの?正気か?
「十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人」
1期1話からずっと遥かが口にしてるこの言葉。遙はFS最後では19歳と6ヶ月で「ただの人」まであと半年。
ちなみに16歳9ヶ月の遙は「あ〜早くただの人になりてぇ」とこぼし水風呂に潜るのである。
ここでアルベルトに言及しておきたいのだが、公式ページの彼の紹介文は「「死神」の異名を持つ」「卓越した習得能力を持ち、初めて触れたものでも短時間で使いこなす。」と遙があと半年で失ってしまうかもしれない「神」と「天才」をほしいままにしている。
アルベルトは遙たちの1歳上で既に二十歳を越えており、遙は「ただの人ではなかった」アルベルトに勝つために「天才」の自分に固執している。
後半のハルベルトシーン(この通称好き)では、遙がいかにアルベルトという神であり天才にのまれてしまっているのかがよく分かる。
正直あの幽体離脱シーンは初見の時驚きすぎてセリフ何にも頭に入ってこなかった。気づいたら遙と凛が喧嘩別れしてた。
遙が「ただの人」になるかがFS前編の大きなテーマだと思うのだけれど、このテーマの帰着点は冒頭に真琴が述べる「泳いでるハルを見ると、やっぱハルはハルだなって思うよ」なのだと思う。
神童、天才、ただの人、この括りではなく“遙は遙”というのが仲間達の総意なのかなと。
郁弥と凛が試合前に「ハルは特別」という旨の会話をする。多分みんなにとって遙は特別で、でもそれは才能があるからではなく(才能のことも含めてだけど)遙という存在が特別大切で特別大好きな仲間という意味なんじゃないかなと。うまく言語化できないけど。
真琴が世界大会前に1人で祈願していた「みんなの想いがハルに届きますように」は些か応援としてはまわりくどい。真琴をはじめみんなは遙が優勝して結果を残すことを1番に願っているのではなく、満足して泳げることを祈ってるんじゃないかなと。
そもそも勝敗に拘泥することをかなり遙は嫌っていた。1期12話は特にそれが顕著で勝敗に拘るなら替え玉メドレーなんて絶対しないし、2期でも進路で非常に悩んで悩んで悩んでいた。
その遙がFSでは「勝つにはどうすればいい」と準決勝後に東コーチに詰め寄り、映画の最終シーンでは「勝つために全てを捨てる」と号泣しながら(大雨=心理描写)断言する。
余談だけど年末年始の鳥取であの格好であの天気は普通に風邪ひく。
話は少し変わるが、予選後の東コーチとミハイルコーチの差が明確に描写されていて、(多分食後のティータイムシーンだと思うけど)夕ご飯を食べる描写もなく手にはタブレットだけの東と、一方では美味しいミートパイに舌鼓を打ち両手いっぱいの荷物を楽しそうに抱えているミハイル。
信じられないことに、遙は元プロコーチがいるわけでもない岩鳶SCに数年通い、中学校では1年で水泳部を辞め、高校2年でやっと水泳を再開するも監督がいるわけでもなく、ただただみんなと絆を紡ぐために泳いでいたら世界大会まで来たという。凛なんかは小さい頃から亡き父の意志を継ぎ、水泳留学をしミハイルという元プロにコーチしてもらいここまできたのに。というかそれが普通。多分あの会場にいる中で1番(狭義の)練習をしていないのは遙だと思う。
正直東コーチの全部切り捨てる戦法は遙には無理だって〜〜〜〜〜〜〜〜〜!あの子絆だけで泳いできたんだから〜〜〜!両手いっぱいに荷物(仲間の想い)抱えてないと泳げないのよ、、、
反対に金城は全てを捨てた、もとい無くしたので強いのではないのかな。FSだけでも友達(になりそうだった日和)、と親しい親戚?(きよ兄)をなくしている描写がある。よく知った仲でありそうな周藤くんについても「友達じゃない(意訳)」と言ってるし、一人で泳いできたんであろうことが分かる。ところで周藤くんが金城のこと友達だと思ってたらあのシーンめっちゃ笑えるな。めちゃくちゃ関係ないけど周藤くんのビジュアルだけちょっとBLEACHに居そう。
話をストーリー序盤に戻し、金城と日和の幼少期シーン。
あんたらも繋がとったんけ!クソデカ感情がデフォルト装備のFree!だが、金城もクソデカ感情所持者でびっくりした。
金城に問われ楽しかったことを「水泳」と答えるシーン、この時の日和はちょうど猫に隠されて顔が全く見えないのだが、金城の輝く瞳から察するに非常に喜びに満ちた表情をしていたのだろう。後生なので猫さんどいてくれませんかね…
ここの日和をみて「水泳、水泳かぁ…」とクソデカ感情スイッチに手をかけた金城のシーン、めちゃくちゃ天気が不穏なんですよね。
不穏というよりかは、何か大きなことが始まる不安感?そういうものを私は感じました。金城のシーンは総じて結構天気が悪い。
後編では金城の空が晴れるシーンが見たいです。
日和の言葉から水泳に興味を持ち、帰宅後水着を探すとき金城は「やっぱプール行く!」と発言しています。
この「やっぱ」からきよ兄に一度誘われた際まだ水泳に興味がなく断っていたことが推察される。
結局、日和が金城という世界レベルの選手を生み出したことになるのでは?私は名探偵なのでこれは事実です。
まじでここまで水泳に興味を持たせるってどんな表情してたのか見せてくれ。
まぁこの表情は郁弥によって生み出されたもので、郁也が金城選手を世に放ったとも言える。クソデカ感情、ぷよぷよより簡単に連鎖すな。
合同学祭、面白さのなかにクソデカ感情が隠されたりされなかったりしててもう収集付かん。最高。ありがとう。
クレープ屋さんしてる旭、郁弥、貴澄がココスバイトのオマージュになっててにっこり。宗介が旭スペシャル頼むのも意外と仲良くてにっこり。凛と郁弥がバトってるモグラ叩きの出店って最初は斜め横くらいの位置にあるのかと思ってたけど、よく見たら真向かいの通りにモグラ叩き屋さんがあるので額つきあわせながらあの調子で向かいの通りまで行ったかと思うとにっこり。全部のシーンにっこりしちゃうね。にっこりしてたら宗介が急にクソデカ感情おかんになってびっくりした。
校門前で「あっるぇー」って登場する金城。タイミング良すぎて笑った。ここの日和達との会話、皮肉は入ってるんだろうけど日和のことは褒めてるし遙のことも認識して挨拶(?)してるし別に悪いこと言ってないのになんか腹立つのが良い。(真琴を空気扱いしてるのは許さん)
金城と日和って小さい頃に会ってるの覚えてるのかな?
変わって岩鳶高校と鮫柄学園が山陰放送に取り上げられてるシーン。(勝手に山陰放送だと思ってる、根拠はない。)みんなのわちゃわちゃが可愛くて和むね〜〜〜☺️
渚の「吸って〜吸って〜はいもっと、もっともっと吸う〜」の声がめちゃくちゃ優しくて笑う。お顔真っ赤な怜がカメラに撮られてるのも良い、ぜひ放送してほしい。
鮫柄の次期部長はやっぱり百太郎なのかな、1年の時は水泳部に入るつもりなかったのにここまで頑張って偉いぞ...!勉強も頑張ってるみたいだし偉すぎ大臣だよ。魚住さんと美波さんもいい感じにカットインしてて嬉しい。
続いてシドニー選抜メンバーへ。日和さん郁弥のこと大好きすぎて笑っちまう。応援としてメッセージ付きのシロクマのぬいぐるみあげる男子大学生ってなに!?しかも自分モチーフだし(これは設定だから日和自信がシロクマをモチーフとしてるかは知らないけど黒縁メガネかけさせてる時点で有罪です)。でも郁弥に「なんでシロクマ?」って疑問がられてるのでなんにも伝わってなくて良い。
この時の3人は絶好調だから安心して見れる、一生このくらいゆとりのある心でいてくれ。
凛と郁弥って友達の友達って感じなのに更衣室では2人がちゃんと友達(ライバル)になってるのいいな、仲良きことは美しきかな。予選の遙を見て拳を握りしめる凛を見る家政婦は見た状態の郁弥。今まで凛と遙の関係に対して星空のシーンみたいな言葉のかけ方する人っていなかったからすごく新鮮だった。確かにもうこの3人は同じ土俵で競うライバルだから誰かが勝って両手を上げて万歳とはならないよね。特に凛はこの時点ではバッタに絞ると決めてないし、フリーで自分も泳ぎたかったって気持ちもあると思う。
凛は普段キリッとした顔付きであまり眉尻下がる表情しないから郁弥と話してる時の表情見て、こういった感情は郁弥のポジション(遙の親友且つ水泳のライバル)にしか見せないものじゃないかなと思った。今後の2人の関係性もお互いとてもいいものになるんだと思う。
メタ的なことだけど鳥取は星取県を自称するくらい星空が綺麗で、オーストラリアも世界的に星空が綺麗なことで有名な国で、綺麗な星空のもとで色んな話をして育ってきた岩鳶っ子たち尊いなって思った。郁弥や凛にとって星空の下で遙と話したことがすごく大切な記憶なんだろうなと思う。(郁弥はアメリカ行ったり色んなとこ転々としてるけど細かいことは気にしない)
言いたいこと書き連ねてたらストーリーが行ったり来たりしちゃった。少し時を戻して東コーチについて。
エレベーターで金城が言った「あいつは路頭に迷わないことを願ってますよ」って気になる〜〜〜。DFでも東コーチの過去はちょいちょい匂わされてたけど金城に繋がるとは...!路頭に迷ったのは東コーチの元教え子?言い返そうとして言葉を詰まらす東コーチはしんどそうだけど、それ相応のことがあったのかなと思わせる回想が挟まれるので何も言えねぇ。
予選〜決勝まで見守ってる組について
喫茶店に集まって見てる大学生組、宗介と旭がここでちゃんと友達認定(呼び捨て)するのみてそういえばこの2人まじで関わりないんだなってなった。学祭でもわりと仲良さげだったけど友達の友達状態だもんね。あと宗介が「お前面白いな、モモを思い出す」って言うけど、それも誰にも伝わらんのよ、強いていえば真琴が百太郎のこと知ってるくらいで旭は百太郎のこと知らないんよ(御子柴先輩繋がりや大会成績で名前くらいは知ってるかもだけど人物像までは知らないと思う)。
あと日和が「楽しみだね、“郁弥”の世界大会」って言うのクソデカ感情の罪状で逮捕して良い。日和も3期の頃より自分でネタにしてる感はあるけどお前の世界郁弥しかおらんのか?有罪です。
松岡宅にお邪魔する怜渚百愛、鮫柄は鮫柄で集まりそうなのでメンバーとして意外な感じはあるけど可愛いのでオールオッケーです。百太郎本当に江ちゃん大好きで可愛い、幸せになれ。あと個人的にすごく嬉しかったのが松岡夫婦の描写があったこと!松岡母が夢を叶える凛を虎一さんと見守ってくれるのすごく心強かった。江ちゃんは試合前に感極まって泣いちゃうけど、お母さんは笑顔で見守ってるのがいい。そもそも片田舎から凛を水泳留学に出すのだって不安や推し量れない困難もいっぱいあったろうに、松岡兄妹をきっといつも笑顔で支えてくれたんだな...と松岡家後方腕組彼氏面しながら泣いてしまった。
凛の予選を見て「身体動かさねぇとやってらんねぇ」って走り出す宗介のランニングウェア、多分2期でも着てたやつでお気に入りなのかな?
他の方の考察を見て知ったんだけど、年末の飲み会の服が2019年のバースデー衣装なんだね。テーマが「みんなでカンパイ!」だから飲み会の衣装になってるんじゃって考察を見て、気づかれた方もFree!制作スタッフさんも最高すぎて震える。
https://twitter.com/kyoani_goods/status/1116614906332139520?s=21
こういう細かいところにFree!の愛を感じるので本当に大好き。
決勝見る時に貴澄がこぼす「じゃあハルが入賞する可能性が高まるってこと?」って一言がめちゃくちゃスパイス効いてて良かった。少なくとも私は勝負事とはほぼ無縁のぬるま湯で生きているので、勝てる可能性が高まるならそれでいいじゃんとも思っちゃうんだけど、遙はそうじゃないんだよっていうのを旭がちゃんと示してくれて、なんというか本当に世界大会の試合を見ている気分になった。水泳アニメの中で水泳を全くしない貴澄のポジションは視聴者側というか、個人的にFree!の世界を俯瞰して見させてくれるすごく必要な立ち位置だと思ってる。
ストーリー順で感想述べた方が書きやすいと思ったけど、もう分からんくなってきたから書きたいとこから書くぞ〜〜〜!
Pがインタビューか何かで言ってたけど、遙とハルベルトは同じような存在らしく、2人とも水の中では自分が1番って思ってるんだろうな。映画冒頭の鷹が大空へ飛ぶシーン、Free!ではお決まりの鷹さんだけど、今回が映画最後のアルベルトの自宅?にいる籠の鳥との対比だと思う。
でもこの鳥がそのまんまアルベルトの象徴かと言われると分からね〜〜〜!カラーが青ってところで遙のイメージカラーだからアルベルトは自由(籠の外)だけど遙(青い鳥)は不自由とも取れる...?ただアルベルトが自由かと言われると謎のアルベルト鑑賞おじいさんがいるからそうとも言えなさそう。
青い鳥で思い浮かぶことと言えば「幸せの青い鳥」だから、幸せ(≒才能)を手に入れているアルベルトとも解釈できるのか?
でもアルベルトと遙が別々の場所にいるにも関わらず、関連付けて風の描写をしているので2人についての描写であるとは思う。もうわからん。
先に少し触れたアルベルト鑑賞おじいさんは何者?バックれたアルベルトにお説教するあの部屋は何?エヴァでも乗るんか?
アルベルトは孤高の天才のような描写しかないけど、ミハイルの回想シーンで引っ込み思案そうなアルベルトが描写されるのが気になる。真琴でいう遙や凛みたいな一緒に泳ぐ仲間がいて世界王者まで登りつめられたバックグラウンドがありそうと勝手に妄想してみたり...
しり切れとんぼだしまだまだ全然書き足りないけど一生終わらないのでひとまず区切ります!
映画:スタンド・バイ・ミー
20210514 Netflixより
⚠️この感想文はスタンド・バイ・ミーめっちゃつまらんくない!?というものです
再来週の金ロがスタンド・バイ・ミーらしく、残業があるかどうか分からないしせっかくNetflixにあるから世間よりひと足早く観たろと思い自宅で鑑賞した。
まじびっくりするくらいつまらんかった、ほんとつまらんかった。
私が過去に酷評したことがあるものとは次元の異なるつまらんさ。別に観ててここのシーンが許せない!のような怒りとか嫌悪もない。ただただつまらんという感想しか出ない。
元々スタンド・バイ・ミーについて知っていたことはタイトルくらいで、世間では名作と言われているという認識しかなかった。正直期待して観た部分があったのでそれとの落差もあったかもしれない。ただほんとまじつまらんかった。
余談だが、自分が好きな作品でスタンド・バイ・ミーのオマージュやらリスペクトなどが見られるものが何点かあり、好きな作品がリスペクトする作品ならきっと最高なんだろう!という期待もあった。(例えばジョジョ、ポケモン、MOTHER、FF15)
私は平成生まれ日本育ちの平々凡々な女なので、スタンド・バイ・ミーの世代とはズレが生じているというのは頭で理解はできる。
近頃の映画では未成年(特にローティーンなんかは)の喫煙飲酒シーンはないし、親世代が戦争経験者(戦争の身近さ)といったり、女性/子ども蔑視のようなものを“そういう作品で目的をもって”ではく日常的シーンとして描写することはまずないだろう。
あと私は根が善人であるため、小規模な町の閉鎖的な空間で鬱屈とした精神とともに育っている登場人物に共感できないシーンが多すぎた。(歳の離れた子の帽子を強奪したり、友人を罵倒するようなことをしたり、勝手に侵入した私有地のオーナーに罵詈雑言を吐き捨てたり、車を盗んだり、飲酒運転をしたり、そもそも死体を見つけても通報しなかったり、めちゃくちゃ細かいとこをあげるとポテト取ってと言われて無視したり等など...)
ただそれについては共感はできずともこういう時代でそういう雰囲気(世界観)なんだなというのは理解できる。
でも何度も申し上げるがま〜っじでつまらんかった。価値観が合わないというのを抜きにしてもストーリーがつまらんかった。
『スタンド・バイ・ミーは名作。』
映画が好きでも好きでなくとも耳にしたことはあるこの言葉。実際みんな何を思ってこの作品を名作と言っているのか1時間ネットの海から情報を拾ってみた。ちなみに現代日本人の感想なので海外ニキネキの感想については知らん。(つまりは適当にネサフしてみたレビュー)
多く見られたのは主にこの2点だった。
・男なら誰もが共感できる/経験のある物語
・ノスタルジーの代表
まじ????????
まじで男ならローティーンの頃に家庭環境が不健全な4人で集まって(今の価値観でいえば)前時代的な発言で罵倒し合いながら無計画に死体探しに行ってるん?
【ノスタルジー(郷愁)】(goo辞典より)
1 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。
2 過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。
少なくとも私がみたレビューは日本人のものであると思われるので1の意味ではなく、2の意味であると考えるが、惹かれる要素is何?罵倒してくる仲間に惹かれているのか?????????????(クリスは線路を歩くシーンあたりから急にいい兄貴分ではあったのでクリスええやんと思う気持ちであればまだわかる)
本作についてとにかく否定的な私が作品を要約すると、スタンド・バイ・ミーとは12歳のガキ共が「死体の第一発見者になったらテレビに出れるぞ!みんなで探しに行こう!」と騒いで死体見つけてテンション下がって帰ってくるというストーリーだ。ほんまつまらんかった。
死体発見までに一泊二日の時間を要するわけだが、そこで特段いつもと違うことが起こるわけではないないのだ。
大抵は物語には「起承転結」があるものだが、このストーリーにおいて「起」は死体(非日常)への興味&自己顕示欲で、「結」は友情(それも進学に伴い疎遠になるという友情)とあるが、「承転」が見当たらない。正確に言えば小さいのだ。
おそらく、父親からのプレッシャー(事故死の兄より劣っていて興味を持たれないこと)から主人公の不健全に低い自己肯定感(=創作意欲)をクリスが手助けするシーンが「承」にあたり、ハイティーンの兄に逆らえないクリスを勇敢に助け出す主人公のシーンが「転」にあたるのだろう。
書き出すと「起承転結」綺麗にあんじゃん!と思うが、クリス含め仲間たちは主人公が作話が上手いことを元々知っているようであり、また主人公が勇敢に立ち向かうシーンはバタフライナイフ(ハイティーン)VS拳銃(主人公)という、そりゃ勝てるわという条件付きである。(主人公の勇敢さについては報復を告げるハイティーンにもの怖じしないという点では真の勇敢さとも言える。しかし勿体ないことに原作では実際報復をされるらしいが映画では報復のシーンがないのでただただ銃で脅したシーンとなってしまっている)
何より、承と転において主人公及びクリスが「お前そういうキャラだったん?」みたいな行動を突飛にするのだ。確かにクリスは傷ついたテディの肩を抱き慰めるシーンがあったり他にも仲間を大事にしたいと思っているような言動は見て取れるが、そんな照れとかけ恥ずかしもなしの優しいやつなん?みたいに思えたし、主人公においてはジャンプ漫画でいうと修行編後レベルの心の急成長を遂げている。
何様気取りで酷評もいいところだが、先にも述べたように作品の公開時と世代が違うので、世界観にピンとこない、近年の映像作品と描写方法が違い観慣れない(のを理解しておらずただただ変だなと感じている可能性もある)という要因から私自身楽しめなかったということが大いにある。
あと私は根が善人であるため、主人公4人組の会話等を罵倒・罵詈雑言と捉えている箇所があるが人によっては軽口程度に思うものかもしれない。
これ以上書いても結論は全部「つまらん」になるのでここらで駄文日記を終えたい。
ただ、最後に、この映画を名作と評する人で、理由として「ノスタルジー」を挙げているやつはこの映画を観ていない説を提唱する。
ED曲しか聴いてないんじゃね?
パイの早食いでゲロ吐くシーンはおもろかった。
なんで生卵飲んだかよく分からんけど。
感想としてはこんな感じ。
映画:太陽は動かない
2021年3月6日 12:20〜 中継付き
すごかった。
ストーリーや演技、ロケーション諸々含めすごかった。
なにがすごいって最近観た邦画と制作費が段違いだった(と思われる。調べてないので実際のところは知らない)。
基本映画を下調べしていくことが無いので大体無知の状態で観るのだが、舞台挨拶を観るまでWOWWOWでドラマ版をしていたことを全く知らなかったので、エンドロールの映像に見覚えが無さすぎて1人宇宙猫顔になってしまった。
ただ、1ミリもドラマ版を知らなくても十分理解できるし楽しめる内容だった。
先に制作費のことを触れたが、やはりドラマと違い(太陽は動かないのドラマ版がどのようなものか知らないので一般的な日本ドラマと比較しての話)映画で派手なアクションや多くのモブキャスト、海外を含む様々なロケーションなど大掛かりな演出を観るのは楽しい。
大変失礼ながら原作があることすら知らなかったが、確かに煽り文句の通りこれを実写化するというのはすごい。想像をぜっする苦労がありそうだ。アニメ化や漫画化は実写化よりも容易いだろうし見映えもするだろうが、実写化をここまで妥協なくできたのは流石は羽住組って感じだ。観る前は藤原竜也さんと竹内涼真さんが出演することくらいしか知らなかったが、観賞後に監督や脚本、原作、音楽、主題歌を調べてみたところあまりにも“勝ち確”のガチガチ路線でちょっと笑った。全員エースで4番じゃん。そりゃこれだけ妥協のないものができますわ。この映画になら通常の2倍の金額は喜んで出せる。
たくさんすごいことが起きているのだが何度も述べるようにこれを実写化したのがすごい。私が1番すごいと思ったのは実はアクションでもロケーションでもストーリーでもなくリアルでこんな人物いるんだというキャスティング。
よくハン・ヒョジュさんとピョン・ヨハンさんみたいな方が存在してくれたなって思った。
・顔がいい(くせのない黄金比顔)
・アクションができる
・多言語で演技ができる
の3拍子揃った演者さんってすごすぎんか?
今しがたお二人について検索したのだがハン・ヒョジュさんは34歳らしい。
.......34歳って何歳?
美魔女という言葉が廃れて久しいが、私の語彙力では美魔女と形容する他ない。20代前半だと思ってた。
作中でドレス、お着物、カジュアル(民族風)、強い女コーデ、白衣など様々な衣装に身を包むのだが、どれも美しい上に異なる雰囲気を醸し出していてあまりにも善かった。
キャストさんについてはみんな良かった!としか言いようがないので割愛。まじで良かった。
せっかくなので少しキャストさんに触れさせていただくと、加藤清史郎さん大きくなったねぇ...と心の中の親戚のおばちゃんが騒いだ。私の加藤さんのイメージは実写版忍たま乱太郎の乱太郎が強い。
日向亘さんにおいては今作がデビューだったらしく私は初めて拝見したのだが、舞台挨拶(撮影から約2年後)の姿が作中よりもかなり身体的に成長していて全く存じ上げていなかったにも関わらず大きくなったねぇ...とまたもや心の中の親戚のおばちゃんが騒いだ。
ストーリーについて、ドラマの方がどうなっているかは分からないが本作は分かりにくい伏線のようなものはなく、単純明快な構成で観ていて面白かった。youtubeとかに出てくる広告ではわりとギャグ調(ドーーーン!や宅配物から藤原竜也のシーン)だったのでギャグ要素多いのかなと思っていたがそんなことはなかった。
ラストまでずっとケツの女の子(役名が思い出せないごめん)がなぜいたのかずっと自分の中で謎で、いなくても成り立つのにわざわざ存在させたのはなんでだろうと思っていたらまさかの1番の伏線回収ポイントだった。ミステリーというほど複雑怪奇ではないが2時間色々これがこうでこういうことなのかなと考えられるポイントもあり楽しかった。
一点個人的に受け入れられなかった点は、鷹野が死生観を田岡に押し付けるような言動をすること。
原作やドラマの方で田岡にも生きる意味もしくは死にたくない理由が提示されるのかもしれないが、映画の中では終始死にたがっている(生きることに疲れている)田岡に「明日のことなんか考えなくていい、1日を生き抜くことだけ考えろ」と言い無理やり助けるのはちょっと違うな〜と思った。まぁ生き死にについては生き抜かなければ死ぬという選択肢が手に入らないので、選択をさせるという点に関しては田岡のことを思っているのだろうと思う。
あとストーリーとはちょっとズレるが、山下!頑張ってパスワード入力してくれぇ!!ってほんと思った。AN通信の諜報員って24時間以内に連絡しないと即死ってわりと厳しい条件な気がする。そもそも定期報告をする=裏切り行為がないという等式もちょっと変な気がするのだがどうなんだろう。(あくまで報告であり監視状態ではないので定期報告をしながら情報を流したりができるように思える)
山下役の市原隼人さんのアクションは流石だった。舞台挨拶で今までで1番色んな保険を用意して撮影に臨んだと言っていたが、ほんとによくあそこまでアクションに挑戦してくれたなと舌を巻く。
舞台挨拶といえば、船が転覆するシーンでただの水を使うのではなく緑茶パックで色をつけた水を使っているとききちょっと楽しい気持ちになった。あの藤原さんと竹内さんのめっちゃ苦しそうなシーン、緑茶でやってんだと思うと笑みがこぼれる。
そういえば最強のバディものという宣伝文句だったが、映画ではさして鷹野と田岡のバディ感はなかったと個人的には思う。どちらかと言うと、鷹野とデイビッド、鷹野と柳の関係性の方が熱かった。
ところでデイビッドは少年期から既に諜報活動をしていたがどういう経緯で柳が雇い主になったのだろう。そこらへんは映画では言及されていないがまた面白そうである。原作を買って読んでみたいと思う。
あまり感想らしい感想が綴れなかったが感想としてはこんな感じ。
今日の無印カレーはゲーンパー(森のカレー)🍛
過去の私へ
ゲーンパーは私の口には合いませんでした。
なんかすごくしょっぱく感じた。
未来の私より
以上。
映画:哀愁しんでれら
2021年2月22日 21:40〜
【追記 2021年2月24日:職場の人に考察きいたら自分のしたためた感想が三下すぎてはわわ...ってなった。ストーリーについてのとこ全て書き直す。】
仕事終わりに車飛ばして観に行った。1番近い映画館が県外という状況、そろそろ終わってほしい。(異動あるといいな〜!!!!!!!!!)
面白かった!前回の「名も無き世界のエンドロール」の“面白かった”は2時間を1000円強使って1人で時間を潰すのにちょうどいい感じという面白かっただが、今回の“面白かった”は同じ映画観た人とここのシーンすごかったね〜と感想を言いたいという感じ。語彙力がないので私の言う“面白かった”は色んなフレーバーがあると思ってほしい。
作品の傾向としては湊かなえとか東野圭吾だと思う。少々よく分からない部分もあったがきちんとオチのある作品で好きだった。
- キャストさんについて
子役のCOCOちゃんがとても演技が上手だった。調べたらインスタグラマーらしく今回が初めての大きい役のようだったが怪演という言葉が実に合う。子役さんでもここまで表現できるんだと感心した。
主演として土屋太鳳さんと田中圭さんが挙げられているが、トリプル主演としてCOCOちゃんも連ねた方が絶対良い。
とにかくすごい。児童特有の癇癪があまりにもガチすぎて本当に癇癪を起こしているんじゃないかと思ったくらい。
他作品で子役さんの演技ってやっぱり浮くな〜でも仕方ないことだよなと思っていたが年齢とかではなく演者によるな。
これはキャストさんへの感想じゃないけど、女児と冠婚葬祭が大好きな私にとって、結婚式に参列する女児や葬式に参列する女児が摂取できて楽しい気持ちになった。
小春を演じる土屋太鳳さんについて、今まで土屋さんってハマり役ないなと思ってたけど小春はかなり合っていたように初めて思った。映画公式ホームページを見たらキャスコメで要約すると最初は役を断ったが4回オファーされて受けたとあり驚いた。
大悟を演じる田中圭さんについて、安定の田中さんって感じだった。綺麗に身体鍛えてんなって思った、田中さんことあるごとにドラマとかでも脱がされてない?焼肉シーンで小春を追い詰める時のモラハラ演技がやっぱうまかった。
- ストーリー以外の点
個人的に服装がけっこう印象的だった。
まず小春について。自立している時(働いている時)の服装はHoneysとかearthって感じ。大悟と付き合い初めてからikkaとかindexとかちょっとキレイめに落ち着き、結婚後はHERMESやFOXEYのシンプル目だけど価格帯がガンと上がった感じだった。メイクや髪型は変わってないのに自立している働く女性から若奥様へと変貌を遂げた。
次に服装の色遣いについて。入籍シーンで小春→黄、大悟→青、ヒカリ→赤で三者三様に鮮やかな服装の中、婚姻届の窓口の人は黒スーツでどよんとした雰囲気をまとい空は曇りに曇っていていかにも世界の調和から外れていますといった印象を抱かせた。私は青黄赤の3色で信号機をイメージし、なにかの暗喩になっているのかと考察したがあんまそんな感じではなかった。だが服装でかなり描写力が高まっていて観ていて楽しかった。私が気づかなかっただけで多分暗喩もあるのではないかと思う。
ラストシーンに向けての学校への殴り込みでは、小春と大悟は初めて夫婦でペアルックのような赤黒で統一した服装になっていて、「あ、ここでこの夫婦完全に変わったな」というのが分かった。
他にもタイトル通りシンデラから連想される水色のワンピース(ドレス)やハイヒールがキーアイテムになっていたりと見応えのある服装が多々あった。
- ストーリーについて
【追記 斜体文字部分読み飛ばしてくれ】
この映画について観る前は、数年前のドラマの「過保護のカホコ」の竹内涼真さんがサイコパスな田中圭さんになったような内容だと思っていた(どんな内容?)。
蓋を開けてみると、上述の通り湊かなえ・東野圭吾のようなおも〜く喉に引っかかるストーリーだった。
小春がシンデレラストーリーを切望(映画内で切望とまで言及はしていないが私はこう解釈している)するなか現実は相反していたというもの。ちなみに小春の“不幸”は冒頭だけでもこれだけ描写がある。
・母親が幼少期自分を置いて出ていく
・仕事に熱心だが成績がふるわない
・妹の軽い反抗期
・金銭面での苦労(妹の進学)
・祖父が風呂場で倒れる
・自営業の家が燃える
・父が職を失う(自営業の自転車屋部分が燃えたため)
・10年付き合っていた彼氏が職場の先輩と浮気
・父に持病がある(糖尿病)
めっちゃかわいそう。
上記のことが1番上と下以外大悟により解決するので(大悟は開業医で父に仕事を紹介したり妹に勉強を教えたり祖父を良い病院へ転院させたりした)まさにシンデレラストーリー。
まぁ、大量無差別殺人を起こすのでプラスマイナスゼロどころかマイナス5那由多だけど。
この映画の大きなポイントはやはりヒカリの天性のサイコパスである。ハイティーンや成人のサイコパスオチはよくあるというか、ぶっちゃけつまらないオチだが(急な他作品disだがあな番の最終回とかすごくガッカリだった)本作では“8歳の女児が悪気もなく殺人を犯す”ということを平然としてのけた。
私は今まで「サイコパスオチなんてサイテー!」というスタンスだったが8歳という絶妙な年齢設定はぜひ他作品でも流用してほしい(?)。善悪の無責任な判断や癇癪、倫理観の欠如が8歳という絶対的不可侵の守りで覆われているのが良い。信じられるのは声変わり前の幼子だけ。(これはただの私の癖(へき))
最初は大悟が超絶モラハラ夫兼毒親だと思っていたが(特にヒカリと小春の入浴シーンでヒカリが小春の女性器を触りたがるシーンや、夫婦の営みが始まる直前に寝室にやってくるシーンで私は大悟がヒカリに性的虐待をしているのではと思いゴミを見る目で見ていた。別にそんなことはなかった。夫婦の営み直前への襲来はギャグシーンとして、小春の女性器を触りたがったシーンは未だに意味が分からない(赤ちゃん返りの一種?))、ただのモンペでヒカリのサイコパスに当てられただけの被害者だった。被害者に収まらず大量無差別殺人を行うので同情はできないが。
他にも色々感想を連ねたいがめっっっっちゃ長くなりそうなので最後に一点だけ。
この映画のオチは「サイコパスは感染する」であったと思う。小春と大悟の夫婦はまさしくそれであり、また眼鏡の女児もそうである。
眼鏡の女児についてはこの映画で未だに意味のわからない点のひとつであるが、おおよそあの子もヒカリに当てられたと思われる。
小春と大悟は当然実刑が下ることになると思うが、なにも行っていないヒカリは無罪放免でそのままのうのうと生活しまた第二第三の事件を起こ“させ”ていくのだろう。
上記の斜体文字は全て初見当時の三下感想。
以下、追記。
ヒカリ、サイコパスじゃない説
職場の人にきいて「まっさか〜」と思ったが、ヒカリがサイコパス出なければ眼鏡の女児の行動について大いに説明がつく。
この映画のオチは「サイコパスは感染する」であったと思う。小春と大悟の夫婦はまさしくそれであり、また眼鏡の女児もそうである。
雑魚の感想すぎて引用しただけで体温5度上がるわ。
サイコパスが感染するわけねぇだろ!
整理のため己の恥知らずな感想と職場の人の考察を書き連ねる。恥ずかしすぎてフーゴになりそう。IQ高まるわ。
私の初見のストーリー考察(感想)
・ヒカリがサイコパス(殺人の犯人)
・大悟はモラハラ気味だが普通の人格→ヒカリにより気が狂ってしまう
・小春は正常な価値観を持っているが家族が自分の手に負えず壊れることを選んだ
・眼鏡の女児はヒカリの友達で正常な価値観を狂わされてしまっていた
・上記4人以外の登場人物は全て正常な人間であり、嘘つきはいない
ところがどっこい、そうではないかもしれない
前提がまず勘違うようである。
ヒカリはサイコパスではなく、大悟の言うとおりただ癇癪もちの“難しい子”なのではないのだろうか。
つまり、来実ちゃんの死は何者かの故意によるものではなくただの転落事故。
そうなるとわたるの「俺は見たんだ。ヒカリが突き落とした!」という発言に矛盾が生じるように思える。ただ、わたるが嘘を言っていたとしたら?
わたるがこの発言において嘘を言っているとしたら、眼鏡の女児からの手紙は本当ということになる。
確かに眼鏡の女児からの手紙を信じるのであれば、その手紙を読んだ小春が呆然としてしまうのにも頷ける。
また眼鏡の女児が嘘をつく理由はさしてないが、わたるが嘘をつく理由はいくらでも考えられる。
眼球打撲の原因にされる(真偽不明)、好きな来実ちゃんと話しているといつも邪魔される、筆箱を盗んでいないのに犯人にされる、親は自分を信じず謝罪を強制される、学校に大悟と小春が乗り込んできてみんなの前で問い詰められる...といったストレス要因だ。
書き連ねて思ったがよくこの子不登校にならなかったな。私だったら手が出てるかグレるかするよこんなの。
なんやかんやと書き出したが、このストーリーはつまり早とちりしたモンスターペアレントが本当のモンスターになってしまったということだ。
ヒカリについて、殺人を犯していないのであれば劇中の行動はさして問題ではないものであるということが分かる。
まず好きな子の気を引きたくて嘘をつく(筆箱やお弁当を自分で捨てる)ということ。これは劇中で小春が言っていたとおり誰もが経験の可能性がある感情である。これが異常に見えたのは“小春が手作りしたモノを捨てた”という点と、小春が必要以上に疑いまた気付いた時に隠蔽するという点である。隠蔽されるとそれはいけないこと、というイメージになってしまう。なんと上手く構成された描写だろうか。
次に葬式に赤い靴を履いていくシーン。これは完全にこの映画を観ている“大人”へのミスリードだ。映画を観ている大人にとってはお葬式に赤い靴で参列するのは許されないことであり非常識極まりないのだが、子どもにとっては靴の色なんか知ったこっちゃない。ヒカリのこの赤い靴を履く行動とは、店頭で人目を気にせず泣き叫んでゲームをねだる子どもと一緒なのである。
小春をアトリエで責め立て、大悟にチクるシーンについて。責め立て方がいかにも子どもなのだが、小春が子育て鬱になっていることから視聴者は小春に肩入れしヒカリを悪者として考えてしまう。大悟にチクるのは、大悟があそこまで激昂すると考えていなかったのだろう。そのため、出ていった小春を泣いて呼び戻すのである。
他にも「ゲームオーバーになっちゃったんだよ」や「ヒカリのこと邪魔だと思ってる!今はそうじゃなくてもいつか絶対そう思う!心のどかで1%は思ってる!」という大人を動揺させるセリフについては文字通り“難しい子”なのである。
ではなぜ映画の煽り文句のとおり、このような悲惨な結末になったのか。それは小春と大悟の理想の親像があまりにも潔癖であったから。
小春も大悟も実の親に裏切られた(蒸発、暴力)記憶が深い心の傷であり、劇中で何度か繰り返す「あんな親にはなりたくない」が根底にあるのだ。
だから自分は愛情たっぷりに子どもを育てたいと強く願い現実と理想のズレに狂ってしまったのである。そのズレのクレパスに落ちてしまったのは、小春が海に筆箱を投げたシーンに落とし込まれているのだと思う。
初見の雑魚感想でも面白い作品であると思ったが、紐解いて噛み砕くと実に上手く構成と描写、そして演技されていた作品であった。公式ホームページのコメントによると7年間脚本を練ったそうだが見事な出来栄えであった。脚本と監督が同じだとストーリーと映像化が綺麗に合致して良いな〜
以上、追記終わり。
感想としてはこんな感じ。
映画には全然関係ないが、今後映画を観たら1つ無印のカレーを買って帰ることにした。今回はスパイシーチキン。
無印のカレーを制覇するのが楽しみだ。
映画:名も無き世界のエンドロール
2021年1月30日 15:10〜 中継付き
邦画に慣れている身としては面白かった。
スピンオフ?がdTVでするみたいだけど、この映画一本でちゃんと話まとまってたし各人物の行動の動機がちゃんと描写されてた。
原作を知らないので分からない部分(ヨッチの髪色とか)はあったけど2時間できれいにまとめたなという印象。
最後蛇足かな〜とも思うけど、邦画の締めの形式美みたいなものだったしスピンオフに繋がらせたいんだなという感じがあるのでまぁ良いと思う。
映像や音響で特段すごい!というシーンは私にはなかったが可もなく不可もなくで見やすかった。
1つ残念なのはなんと言っても宣伝文句。
男2人女1人の幼なじみトリオ+プロポーズという要素である程度ストーリーに予測がつけられてしまうところに、「ラスト20分の真実、あなたはこの世界の終わりに、心奪われる」なんてそんなんもう復讐劇一択じゃん、という。
案の定復讐劇。ネームドの登場人物も少ないのでこいつがこいつに復讐するストーリーね、というのが容易に推察できてしまった。
キャスティングもけっこうわかりやすく、岩田剛典さんが復讐の助けをして、新田真剣佑さんが復讐役で、中村アンさんが復讐の対象というのは役者さんのイメージからわかりやすい。まぁ冒頭からプロポーズのテンションではないので復讐劇であることを推察させながら構成しているのだろう。
ここから感想
ストーリーというか復讐する2人の動機が良かった。“復讐”について、00年代では「そんなことして死んだ○○は戻ってこない!」とかそういう流れを1回挟みがちだったが、本作では昨今の故人ではなく自分の感情で復讐をしたいムーブであって良かった(個人的にそちらの方が好きなので)
おそらくこの復讐の動機が自己か否かというのは作者にとっても重要なテーマなのではないかと思わせる描写が多々あった。
特にマコトの動機はめちゃくちゃ好きだった。轢き逃げや隠蔽については恨んでないというスタンスで(恨んでないなら復讐するなよとは思うが)、ただ渡そうと思っていたプロポーズの指輪をヨッチが気に入るかどうかが知りたいだけだという非常に利己的なのが良かった。新田さんのここの演技も良く、10年くらいそのことを知るために(死ぬ前に決着つけるために)色々してきてもうそろそろ限界という“キレ”が良かった。今更だけど新田さんってめっちゃお顔がいいな。高校生から30歳くらい(?)までを演じていたけど演じ分けというか学生時代のわちゃわちゃ感がわちゃわちゃで良かった。好き放題やってた感もあるけど。
あと良いな〜と思ったシーンは、全然別シーンだがリサの婚約者を銃で脅すシーン。岩田さんの演技にドスがきいてるとかではなく発砲シーンの迫力がすごく普通にビックリしてちびるかと思った。
ヨッチについて、ストーリー展開上色々キーワードを残していくのだがそれらの落とし込みが少々雑だった印象はある。
登校前のファミレスでの会話で、どんなジャンルの映画でもエンドロールを見ると悲しくなって泣いてしまうと言うシーンや、日常会話での「何が怖い?」という問に忘れられることが怖いとアンサーするのは突飛だった。元々(映画では詳しく描写がないが)過去の出来事から情緒が不安定なキャラであると考察できるし、きっと境遇が似ていて心を許している2人には伝える内容ではあると思うが会話の流れが悪かった。
全然関係ないけど、「何が怖い?」に対し「忘れられることが怖い」と返す人を知っているので途中その人がめちゃくちゃ頭に浮かんでいた。(詳しくはゲーム実況者のすぎるさんとhacchiさんの「ナポ男のバイオハザード RE:3」を見よう!)
映画の大筋の流れは予告時点で検討はついていたが一点だけかなり意外だったところがあった。幼なじみ3人の関係について、キダもマコトもヨッチのことが好きになるのはわかるが、キダがマコトの恋心を応援するものとばっかり思っていた。実際はキダは告白するのだがヨッチは2日前にマコトからの告白をOKしており振られるという流れだった。
おい!!!!!!マコト!!!!!!!
抜けがけは酷くないか!?!?!?
なんかそこらへん先に男2人で相談でも牽制でもしとくもんじゃないの!?
復讐役のミスリードだなと思わせるように、ファミレスでマコトがキダとヨッチを2人きりにさせるシーンがあるのでマコトはキダの恋心を察しているように思えるのだが、え、抜け駆けは酷くないか!?
これはストーリーが悪いとか脚本への驚きではなくマコトへの驚きです。私だったら小学校の頃から仲良くしてる幼なじみ2人が2日前から付き合ってることを隠してたらめちゃくちゃ凹んじゃう...
余計なことを言ったが、ここのキダからマコトへの告白シーンが良かった。
舞台挨拶で監督が、わざと物理的距離を置くことでセリフに“伝えたい”という感情がよりのるようにしていると言っていたがまさにその通りのシーンになっていた。
雨の日に横断歩道で告白するのだが、雨という主人公(キダ)の情景描写もあいまりよりキダとヨッチのお互い大好きだけど付き合えないという苦しさが演技からかなり伝わった。このとおり、めっちゃ良かったのだがキダとヨッチの告白シーンが私服であり普通にお互い成人してるのかと思ってたらまだ高校生なのでびっくりした。まぁそこは仕方ない。
あと横断歩道の押しボタンを爆弾のボタンとかけたり、横断歩道を三途の川のメタファーにしているのが上手かった。(三途の川はちょっとコテコテ感あったけど)オタクはそういう細かいところが大好き。
結末でちゃんとマコトとリサが爆死するのがやっぱ良かったな。爆死大好きなので。死に方選べるならやっぱ爆死だよね。
この爆死はヨッチが冬に見たかった花火とかけてあるので爆死したいから爆死したんじゃないけど。
勝手なイメージなんだけど、男の友情ってコーラで描かれがちな気がする。(Free!の宗介&凛やDr.Stoneの千空&ゲンなど)
ラストでダミーの部屋にポツンとコーラあるの良かったね。オタクはこういう小物が大好きなので。
ストーリー上当たり前だけど、イベントのスクリーンをジャックして自白配信流してる時、投影機の電源切られなくて良かったねと思った。
最初にも書いたけど可もなく不可もなく、連ドラよりも映画の2時間で一気に見るくらいがちょうどいい。拘りというか様々なメタファーがあってなかなか良かった。
普通に面白かったのでそんなに感情が揺さぶられずあんま面白い日記にならなかったや。
感想としてはこんな感じ。
映画:さんかく窓の外側は夜
2021年1月23日 9:30〜 中継付
原作はほぼ未履修(数年前に3巻まで読んだ)
【1月24日追記】全巻購入しました。3月10日の最終巻楽しみです。
- 個人的に好きだった点から
ライティング(照明さん?)のセンスが良かった
主役2人が謎の屋上で焼肉食べながら冷川が「三角くん、顔色が悪いですよ」と言うシーン、冷川は焼肉の火(オレンジ)が肌に映えてるのに対して三角は信号機の緑かよくわからないけど夜の街の色が肌に当たって顔色が悪く見える演出良かった。
貯金箱入口のライティングも原作表紙のカラーリングっぽい雰囲気出してるんじゃないかなと思う。【追記:6巻からガラッと表紙の雰囲気変わってて全然関係なかった】
教団内の惨殺現場は安っぽかったけどライティングや雰囲気はよかったと思う。(冷川の事務所はもっと簡素な方が原作にそってるし、人間味のない方が冷川自身にも合ってると思うがあれはあれで個人的には雑多なのに変に洒落てて好きだった)
志尊淳さんの演技がめちゃくちゃ良くて、原作の三角と比べるとお顔が可愛らしいので合わないなぁ(原作三角は書店店員感あるけど志尊さんのお顔に書店店員感はない)と思いつつ若さというか悪意に晒されず生きてきた純粋さからくる誠実さとかは原作三角に並んでいたのではないかと思う。
ただ原作(3巻までの知識)よりもギャグシーンが少なくツッコミ役な立場がないのもあってか常にヒロイン的ポジションだったのはう〜んとなった。
多分オタクはみんな好きな過呼吸気絶から目覚めて冷川に落ち着かせてもらうシーン、涙がじわっと溢れてツーっと頬を伝う演技は圧巻でしたね。
あとここもオタク好きポイントだと思うけど、岡田将生さんと志尊淳さんの身長差良かった。
岡田さんもお顔が大変よろしかった。半澤のセリフで「あの無駄に顔のいいやつはどこだ」というのがあり、1人映画館でニコ...☺️となってしまった。
冷川か?と問われれば人間味がありすぎたけどそれは脚本のせいだと思う。
記憶を取り戻したシーンの上擦った声で「僕が、僕がやったんだ...」と震えているシーンは冷川か?と問われれば完全に違うが演技として私は満足でした。
カメラワークも個人的には好きな感じだった。
映像(実写)で目線(ものの上下左右の見え方、言いたいこと伝われ)を変える演出はあまりないけど、失神して横になってる三角の頬を叩いて冷川が起こすシーンで普通だと横向きのカットになるところを縦割りのカットにしているのが漫画っぽくって好きだった。(実際に原作にあるカットかは知らない)
貯金箱入口に初めて入っていくシーンで、三角と冷川が画面に線対象になり2人で扉を開く所は、まさに物語の本幕が主役2人によって開けられたという象徴なのかなと思った。
カメラのカットと音響(?)がリンクしてて画面外にいる人の声が小さく(マイクから遠く?)聴こえるのが臨場感あって良かったかなと思った。実際対面してる2人が喋ってる部分じゃそんな声の距離感変わらんだろってとこも大袈裟にされてた気もするけどこれも個人的には好きだった。
この映画はそもそもビジュアルを寄せるつもりはないんだろうという気はあったけど、ビジュアルが似てないわりにはキャスティングはハマってたと思う。
ここから批判!
- まずは映画の内容から
ヒウラエリカ、雑魚〜〜〜〜〜!!
話が急展開すぎた。3巻までの知識の私にとってエリカも冷川も浮世離れして且つ超人的な力をもった強い人間というイメージがあるなか、映画ヒウラエリカに至っては呪い失敗して冷川に助けてもらったあげくよく知りもしない三角に弱音吐いてなんか糸(貯金箱のよくわからんやつ)に絡まって気絶してた雑魚だった。
原作みたく、人に媚びない態度でお金稼ぎをしているその実は先生から強制された行為であり、周囲の大人から護られず生きてきたという描写が必要だったと思う。
映画のヒウラエリカは北川景子さんを殺しただけだった。
「声」の力も原作知らないとなんのことだか分からないだろうなと思う。あと耳から出てるタールみたいなやつ最初の方(車乗ってるシーンとか)わかりにくかった。
原作知らないと分からないといえば、冷川がただ三角くんに意味もなくベタベタ触ってるセクハラ上司になってた。
なんか、ほんとにヒウラエリカ雑魚だったな...
上述のとおりとにかく急展開。
映画の最後で続編があることを匂わせるカットがあったが、それなら今回のストーリーで前後編にしてほしかった。
三角が契約云々に気付き冷川を問い詰めるシーンが最悪だった。
三角は今まで他人と違った見え方を嫌悪し孤独に一人震えていたという描写が謎の幼少期に置き換えられていて、それだけではどれだけ三角にとって冷川が救いだったのかが伝わらなかった。【追記:原作読み直したら三角にとっての冷川の存在やっぱり大きいなと思った。】
母親が添えるようにいたけどあそここそ全カットで良かったと思う。(原作ではもちろん重要な三角母だが今回の映画では尺をとるほどいい要素ではなかった)帰宅即ビール飲んでたから協賛に麒麟おるんか?って思った。映画はCMじゃないぞ。
三角がただのヒステリック野郎に見えたし実際そうだったと思う。
三角の誠実さと冷川の人間味のなさがうまく対比できておらず、かなり三角がお荷物ヒロインと化していた。私はこの映画を見ながらテイルズオブヴェスペリアのエステルを思い出していた。
- 続いて様々なイチャモン
原作の除霊話をカットして本筋だけ描こうとするなら月日の経過を服装等で表現してほしかった。撮影の都合だろうが出会いから最後までがワンシーズンでまじジェットコースター。いくら運命でももうちょい関係を築くのに時間を要してくれ。
というか除霊する時に見える幽霊の人生なに?幽霊の人生に興味無いんだが。
あと運命ってワード最高にダサく使ってくれたわね!なんと言っても最後がダサかった。
出会い(冷川から三角への「僕といれば怖くない」)と救出(三角から冷川への「俺といれば怖くなくなりますよ」)の立場逆転や、肉を食べるという伏線回収なんて絶対全人類絶賛ポイントなのに、なぜか笑っちゃうくらいダサかった。
なんというかカタルシスがない。本来なら(原作とは違うけど映画の流れとして)三角が救世主のようなものとなるのに手順をすっ飛ばしてるので急に出てきた知らん人という感じだった。
ダサかっといえば幽霊!!!!!!
なに!?!?!?!?
え、、、、、なに!?!?!?
ダサすぎんか!?どうした???芸人さんのコントの幽霊か!?!?M-1会場はあちらです!!!!!!!!
ヘアメイクさんとか(原作とは全く違うデザインだけど)綺麗にされてたし、衣装(黒ずくめについては後述)や小道具も拘ってたのにほんとになんだったの...
あまりにもダサくて全幽霊に爆笑してしまったし三角は眼鏡使わなくても絶対見分けつくよね。
メイクさん、岡田さんや志尊さんは最高に仕上げてくれたのに何故...と思いながらスタッフロール見てたら、「幽霊メイク」という担当がいた。犯人はお前か!!!!!!!
ついでにヒウラエリカは飾らないイメージだったので、平手友梨奈さんのリップがちょっと濃く感じられもっと限りなくすっぴんが良かったなと思った。【追記:2巻の「あたしが処女じゃなくなったら困るんでしょ」というエリカのセリフや女子高に通わされていたことから、徹底的に男から遠ざけられているイメージが私の中にあったっぽい。ただ私服は可愛いものやミニスカートも多いので可愛く化粧してるエリカもありな気がしてきた】
先に少し触れた、黒ずくめについて。今回の映画のコンセプトとして生者=黒、死者=白というものをとっているらしい。普通に映像として失策だと思う。原作としても三角やその他(霊)能力者にとっては死者が見えることが現実であり、区別ができず受け入れて生きていくしかないというテーマがあるのにこれはひどい。
ラストのスクランブル交差点でモブ全員が黒い服着ており、三角も冷川も黒い服を着ているので画面映えが最悪だった。街中に溶け込んで消えていくという描写でもなかったのに主役どこだよと思った。
私はこの時特に関係はないがFF15で貴族は黒い服を着るという設定が「白い方が貴族っぽい」「洞窟などの暗い場所見えにくくでかなりプレイしにく」と非難轟々だったことを思い出していた。
結局の感想としては《ダサかった》の一言に尽きる。宗教団体や貯金箱のデザインなんだったんだあれ。途中謎にでてきた呪呪呪呪や死ね死ね死ね死ねのデザイン化された文字の必要性とは。なんか糸ぐるぐる巻きにされて平手さんが可哀想だった。
話は変わるが、映画公開記念の舞台挨拶において平手さんは体調が悪かったのかただただ態度が悪い人なのかどっち?詳しいファンいたらこっそり教えてほしい。志尊さんいなかったら空気重すぎてMCの人泣いちゃってたと思うよ。
原作をきちんと履修せずに観た身としては「雑なネタバレをくらった」という感じ。
実際読んでみたところ、かなり改変されている部分が多く原作めっちゃおもれ〜〜〜〜〜!となった。
映画を観て良かったということではないが、原作を買い揃えるきっかけをくれてサンキュなという気持ちはある。
聞いた情報によると、私が観ていない回の舞台挨拶で監督が三角の性格を少し変えたと公言していたそうだが、原作あるものでそれやっちゃあおしめぇよと私の中の江戸っ子が鼻をすすった。
なんやかんや書いたけど他にもツッコミどころはたくさんある。非浦母原作と違いすぎんか?とか先生どうするつもりなん?とかそもそもあれ先生なん?とか万華鏡なんなん?とかなんで冷川記憶ないん?とか幼少期冷川色々どしたん?とかなんで三角書店店員辞めてんの?とか三角家の夜ご飯量多くない?とか
普通に文章にするのが面倒なのでここらで終わらせる。記憶保管用メモの日記だけど別に残しておくほどのことではないので。
感想としてはこんな感じ。
原作めっちゃおもしれぇ。
映画実写版BLEACHの感想
⚠️ネタバレ
⚠️基本辛口
結論から申し上げるとくそすぎて私は泣いた
〜観るか観ないかお悩みの方へ〜
【こんな方にはお勧め】
・福士蒼汰さんのファン(※原作を知らない方限定)
・杉咲花さんのファン(※原作を(略))
・1800円を数秒間のかっこいい茶渡に使える方
【こんな方は観ないでほしい】
・石田雨竜のファン
→絶対にぜっっっっっっっっったいに観ないでほしい。基本的にどのキャラもアイデンティティが崩壊しているが石田は格別。本当に観ないでほしい。吉沢亮さんのファンの方も観ない方がいいかもしれない、かっこいいシーンは特になく存在感も薄いしいる意味がない、あと戦闘離脱の仕方がダサすぎる。原作初期の掴めないという意味での「なんだこいつ」感が不思議な電波系の「なんだこいつ」感になっている。これについては後ほど語らせていただきたい。
・原作ファン
→前半は思ったよりよかった、というよりビジュアル(キャラの髪色や服装、街や家の外観)を抜きにすればわりと好感触だった。しかし、中盤から急に設定もなにもかも崩壊するので観ないことを勧める。
~総評~
【よかったと思う点】
・キャストさんのビジュアル(再現度が高いわけではない)、演技もとても上手な方が多かった。
・BGM。戦闘シーンはベースの低い音から入り激しくなっていく少年漫画の典型で胸熱だった。
・CG。グローブを使った死神化のシーンがすごくよかった。ティザーPVにもあるシーンなので気になる方はぜひ。
【個人的に残念な点】
・期待してた鬼道のシーンががほぼなかった。あのCGクオリティならもっと鬼道などの特殊効果シーンが見たかった。はっきり使ったのはルキアの縛道の一くらい(※しかも詠唱破棄は原作通りだとしても普通鬼道は技名を唱えないと発動しないのに何故か「塞」までいわず「縛道の一」までしか言わない)。六杖光牢とか赤火砲は画面映えしそうだったので残念。
・コンがいない。尺的に仕方ないけど人形のコンと話すルキア・一護や、コンが入った一護が見たかった...
・裏原商店が謎の厨二。裏原さんの"怪しさ"がただの厨二すぎて引く。これについても後ほど。
・尸魂界の外観が意味わからない。本当に意味がわからない。どんなものだったか言葉で説明すると、100万ドルの夜景を見たことのない人がそれをイメージした中に厨二的近未来感をぶち込んだ感じだ。自分で説明してても意味がわからないが本当に意味がわからなかった。
・虚が臭そう
・アクションシーンの配分がおかしい
→恋次戦と白哉戦が長すぎる。グランドフィッシャー戦がすぐ終わる。この映画で魅せたいものが何かわからない。カメラワーク含めアクションはいいのにとにかく長くてだれていた。
・真咲ママの遺影が地味
総じてビジュアルの変更がかなり嫌だった。製作者の「どや!すごいやろ!!俺はアーティスティックなんやで!!」というエゴが作品からぷんぷん臭ってきて臭すぎる。それはオリジナル作品でどうぞ。あと石田と恋次・白哉を同じタイミングで登場させているのでもう駄目。言葉にするのも面倒なくらい全部駄目。詳しくはキャラごとの感想で...
~生じる矛盾~
正直多すぎて話にならない。大まかなところだけ挙げていく。
・ルキアが死神に戻れない理由
→一護の中の霊力が足りずルキアに霊力を渡すと枯渇して一護が死ぬというオリジナル設定。は?じゃあ一護の馬鹿でかい斬魄刀は何?原作通りでも問題なくストーリーが展開できるのになぜ変えた、訓練シーンを増やすため?
・石田が1ヶ月前に引っ越してきてる
→映画の中では大きな問題ではないけど今後の展開に問題がありすぎるだろ。
・織姫と茶渡
→覚醒のきっかけ(織姫兄の虚やインコの話)がないのに死神の一護を認識している。
・石田と一護の連絡手段
→霊絡やら霊圧感知の説明がなく一護と石田がLI〇E交換した描写もない。もちろん一護が石田の行きつけ(?)の店を知っている描写も無いのに一護が石田の所に向かえるのが謎。なに?心が通じあってんの?
・大虚が登場しない
→大虚の出現情報が尸魂界に伝わって恋次と白哉が現世に行くのになんか勝手にきた。は?
→グランドフィッシャー戦で街や人への被害が大きすぎる。
・一護が虚=元人間ということを知ってる
→原作では織姫兄虚戦でルキアから教えられ動揺をみせるが「グランドフィッシャーってどんな霊か知ってるか?」とルキアに普通にきく。しかもルキアが「女の子の霊だ」的に返した気がする。ちゃんと尸魂界はグランドフィッシャーの情報掴んでるはずでは?女児の姿はただの疑似餌だぞ??????
・記憶置換
→一護含め恐らく全員ルキアに関する記憶置換を受ける。そんなことをしたらBLEACHが7巻で終わってしまうんですが?
・回復に関して
→石田は不死身なの?なんなの??
遊子、夏梨、一心さんがずっと放置されている。一護も放置されている。もう全員放置されいてる。
~キャラごとの感想~
【黒崎一護】
幼少期が黒髪でふざけるなと思った。しかし子役さんのニコニコした笑顔が幼少期の甘ったれのイメージとぴったりですごくよかった。特に言及なく急に髪色がオレンジになってるので染めたとしか受け取れない。一護は髪を染めない。
冒頭の喧嘩シーンは福士さんの足の長さもあって見応えがあったし、シルエットが完璧だった。全体的に演技もはまっていてかなりよかった。
一護は幽霊やらの話が嫌いなのに織姫達に自分から話をふっている(※家にトラックが突っ込んだ云々を虚に襲われて云々と説明しなおしてる)のが解釈違いすぎた。
ルキアとの訓練の場が謎。なぜあんなに人通りの多い河原でするのか。不良に絡まれたいのか?というか不良もっと絡んでこいよ、不良に絡まれるのも一護のアイデンティティのひとつだぞ。
教室で1人一心さんお手製のお弁当を食べているのが嫌、屋上で啓吾達と食べてくれ(※映画だと水色はいない)。
真咲ママの命日前のアンニュイさがなかった(※一応部屋に飾ってある真咲ママの写真を手に取るシーンがある。が、原作にそんなシーンはないし部屋が原作と大きく違ってごちゃごちゃしてる)。
《追記》部屋にあるポスター類は一護のイメージソングのアーティストさんのものらしい。
命日前には感情を隠して一見人当たりがよく見える描写がゼロ。なので、織姫が一護をよく見ている描写もゼロ。
墓参りシーンで遊子や夏梨が一護より大きな荷物持ってるのが意味不明、一護は妹に荷物押し付けるような兄じゃない(原作では前日の会議で荷物持ちは夏梨になってはいるが当日は一心さんが全部持ってる)。
後述のグランドフィッシャー戦が解釈違いすぎて泣いた。
【朽木ルキア】
言葉遣いが気になる。雰囲気は原作に合わせてるが「でも」とかを使う。
ビジュアルは原作と大きく違うが個人的には気になることはなかった、強いていえば髪型を女子大生みたくアレンジしているのが解釈違い。「ごきげんよう」とスカート摘んで挨拶するシーンやパックのジュースが飲めないシーン見たかった... 一護以外との交流シーンが全くない。
義骸で鬼道を使ったりせずほぼ無力だった。義骸に入って霊力回復を待っているのに力が弱まっている描写がないので余計ぽんこつに思えた。
転入初日シーンの『さわいだら殺す』を一護の机の一護の教科書に仕込んでいる。あまりにも不自然。いつ仕込んだの?(※これは一応最終シーンに繋がる)
一護を助けるために白哉達に連行されるまでの間が長すぎて画面外で何してるの?と思った。判断が遅すぎる、一護死ぬぞ??
一護のことを"人間の友達"という。は????????????解釈違いが大きすぎる。この時点ではまだルキアと一護は友でもなんでもない。原作初期でも確かに一護のことを"友達"と織姫達とお昼を食べているときに言うシーンはあるが全くもって言葉の意味が違う。(※ちなみに"友達"という言葉を最初に使うのは一護。聞き間違いかと思った。聞き間違いではなかった。)
《追記》監督の意向で一護とルキアから恋愛要素を払拭し友情を全面におしだしたかったとのこと。恋愛じゃない関係=友情という考えが安直すぎる。そもそもグランドフィッシャー戦をきちんと描写すればわざわざ"友達"などという軽い言葉は必要ないことがわかるはずだ。
ラストシーンで自分の後始末に関して元気よく「多分!」と語る。ルキアはそんなに無計画でもなければ無責任でもない。この一言でルキアのすべてが崩壊した。
【黒崎家】
・遊子と夏梨
パッと見で"二卵生"の双子には思えない。髪色を分けて欲しかったし夏梨はもっとボーイッシュな格好にしてほしかった。夏梨の方が霊圧が高い描写がないので原作ファンにしてみれば各所で違和感が大きい(※遊子にもグランドフィッシャーが見えている)。
遊子が家事を担当していない(※一心さんがご飯を作っている)。黒崎家には各々役割があることがわからない、一護の家族を護るという意思も伝わってこなかった。
・一心さん
服が普通。この一心さんはドン・観音寺と仲良くなれなさそう。
そもそも個人医院を開設していない。
怪我をした一護が目覚めるまで居眠りしながらもベッド脇に寄り添っているのが不自然。この場合は遊子と夏梨が付き添うと思う。
一護のところでも述べたが、墓参りシーンで自分は缶ビール2本しか持っていないのに遊子と夏梨に大きな荷物を持たせている。意味がわからない。一心さんでなくても親のとる行動ではない。しかも墓前で煙草を吸わず1人で酒を飲み始める。
ラストシーンの朝食の席で「変な夢をみた」という一護に急に死生観を語る。サイコパスか?(原作では墓前で一護にだけ語る、セリフも簡略化されていた)
・真咲ママ
ビジュアル公開時から言っているが黒髪なのが解釈違いすぎる。個人的に一護と真咲ママは同じ髪色でないと駄目だ思っている。一護にとってBLEACHの世界にとって"真咲ママからの遺伝"がどれほど重要なことかわかってないのか?原作最後まで読んだ?
関係ないけどBLEACHではママを演じて銀魂では18歳の娘を演じる長澤まさみさんすごい。
【井上織姫】
真野恵里菜さんがとても可愛かった。喋り方や声のトーンが織姫らしくてよかった。
ヘアピンの花弁が6枚でないのに怒りを覚える。なぜ?どうしてあんなにシンプルなデザインのヘアピンを再現できないのか。織姫の能力は"盾舜六花 "なんですが?"六花"なんですが???
髪色がもう少し明るくあってほしかった。この世界のBLEACHでは髪色は重要でないんだと諦めて観ていたら織姫が一護の髪色のことについて言及する(原作では竜貴が「変な髪だし」と言うシーン)ので髪色のこと設定あるんかい!と心の中でつっこんだ。織姫の明るい髪色は今の織姫を形成するとても大切な要素なので映画中それが描写できないにしても変えないでほしかった。
一護のどこが良いかきかれた時が原作とかけ離れていて嫌だった。原作の織姫は一護のしかめっ面からアント〇オ猪木さんを連想するが映画はただのかっこいい福士さんのショットだった。ア〇トニオ猪木さんが出るか楽しみにしてたのに...
ハンバーガー屋でサラダを頼んでいたのが解釈違い。お弁当に食パン一斤とあんこ缶を持ってくるちょっとズレた大食漢なところが可愛いのにそんなハンバーガー屋のサラダなんてやわなもの食べない、いや食べるかもしれないけど。
全体的に描写不足で上述の通り矛盾がある。
【茶渡泰虎】
登場が早かった。ただ織姫同様描写不足。申し訳ないが全く思い出せない。ドッグタグネックレスのドッグタグ部分大きいなと思った。ハンバーガー屋で看板を受けとめるシーンがかっこよかった。
【阿散井恋次】
刺青のデザインが映画オリジナルだが、理吉が一部真似るときどこにどうやっていれるんだろうと気になる。
一護と初対面時に石田から2発狙撃を受けただけで撤退する(※もしかしたら一護より滅却師の確認を優先して追跡してるかもしれないが描写がないので分からない)。仕事しろ(原作では石田と遭遇した時に重傷を負わせている)。
斬魄刀の説明をしてくれないので原作ファンでないと何もわからない。正直この映画からわかる設定は何ひとつない。
上述の矛盾点の通り、街中のグランドフィッシャー戦時点で現世に来ているのに街や人を守らない。背後から石田を刺し、消耗した一護の前に現れ攻撃を始める。行動がくそ。言動からルキアへの気遣いがうかがえずただイキってる奴に成り下がっている。
【朽木白哉】
朽木白哉は刈り上げしない。この実写映画ではどうやらキャラの根幹がゆらごうとウィッグを使いたくないようなので100歩譲って刈り上げは許すとしても白哉はピアスをしない。白哉の装飾品は牽星箝と銀白風花紗だけだ。
なにが「次の満月まで待つ」(※ルキアを見つけた後ルキアと一護を見逃す)だ、気は確かか?白哉は緋真さんを嫁に迎えてルキアを家に入れてから掟に厳格なのに勝手に上からの命令を自己判断で捻じ曲げていることがありえない。
一護に対して怒りの感情を顔に出しすぎている。まるでこの時点の一護と同格に思えて隊長クラスの圧倒的な力が毛ほども感じられない。
抜刀納刀が遅すぎる。副隊長の恋次でさえ目で追えない時があるのに3回も納刀を見せつけてくれる。ファンサービスかな?ぜひともご遠慮願いたい。
恋次同様現世にいるのにグランドフィッシャーの被害を無視している。
【浦原喜助】
謎多き人というより、変なおじさん。上述の通り浦原商店が厨二くさい。
ルキアに義骸を渡す描写諸々がないのでルキアのあれそれの出どころが不明。(※映画オリジナルデザインの虚探査機の電池を渡すシーンはある)。
↓石田のセリフ↓
「僕は尸魂界への行き方は知らない。でも尸魂界を追放された元死神は知ってる。」
..................は?
映画館で声出して笑いそうになった。それ知られてるの?しかも引っ越してきて1ヶ月の石田に?ファファファのファ???もう原作とは違う意味で浦原さんが何がしたいのか意味がわからない。
覚醒しきっていない織姫と茶渡に意味深に話かけるがただの不審者。
未覚醒の織姫、義骸で鬼道を使わないルキア、そして浦原さんも何もする描写がないので各キャラの回復の仕方が不明。(※死神化した一護に消毒液のような謎の茶色い液体をルキアが使用するシーンが一度だけある)
【石田雨竜】
なぜか1ヶ月前に転校してきた設定になっている。しかも映画内で全くその必要がない。孤高というより電波なぼっち。クソ改変にもほどがある。1ヶ月前に一護の高い霊圧を感知してこの街に留まった的なことを言っていた気がするがなにも理解できない。誰か説明してほしい。
石田の目的は"死神の目の前で滅却師の力を証明すること"なのに恋次や白哉が眼中にないのが謎(※映画では恋次と白哉が現世にくるのがかなり早い)。
撒き餌で一護に勝負をふっかけたのに勝負する描写がないし何もせずに終わる。(※白哉が「恋次お前は北(南だったかも)へ行け」的なことを言っており、撒き餌に誘われた虚は恋次と白哉に掃討された様子)
なぜか放課後1人ハンバーガー屋で過ごしている。石田は放課後に賑やかなハンバーガー屋で本を読むようなキャラじゃない。
一護が尸魂界への行き方をききに来た時、「(恋次・白哉と一護の)対決は見ものだよ」と言うが、その前にお前と一護の対決はどうした?痴呆か?
グランドフィッシャー戦で一護を助けに来て(※これは一護と勝負の決着がついていないことが理由らしい。決着も何も勝負は始まってすらいないが)そこで謎に絆が芽生える。石田と一護の絆はこんなことで芽生えない。2人ともお互いにバックグラウンドを語っていないので何も始まらないと思う。
恋次に背後から刺されて退場。ダサい。副隊長クラスがいれば感知できるだろ。吉沢亮さんのファンは銀魂を見ればそれでいいと思う。
記憶置換を受けた後、一護に「お前と話すのは初めてだな」と話しかけられ微笑む。石田はそんな奴じゃない。簡単に微笑まない。誰だお前は。
~グランドフィッシャー戦~
グランドフィッシャー戦が恋次・白哉戦に対してかなりあっさりしている。
グランドフィッシャーが全く喋らないし、霊圧の高い者だけを好んで喰う設定がおそらくなくなっている。グランドフィッシャーは高慢で勝気な性格なのに全く描写がない。個人的には石田の次にキャラ崩壊が激しいと思った。
疑似餌の説明もないので6年前の一護と真咲ママのことがよく分からない。しかも疑似餌ではなく幻覚を使い一護を惑わせる。は?
おそらく戦闘シーンを映えさせるために街中へ移動する。グランドフィッシャーの行動理由が不明。
1番理解できない改変はグランドフィッシャーと一護が一対一ではないこと。
一護の誇りが汚されている。グランドフィッシャー戦は"一護の戦い"のはずなのに。誇り云々がすべて省かれているので間接的に海燕や浮竹、ルキアの生き様も汚された気分になった。
また、戦闘は墓地から街中へ移動するため街への被害が甚大となる。しかし、上述の通り恋次・白哉は何も対処をしない。
石田が加勢に来たときルキアが「仮面を狙え」とアドバイスするが、石田が虚の弱点を知らないわけないだろうと思った。この石田は師匠(せんせい)の話をしないのでもしかしたら知らないのかもしれないが。しかもちょっと外す。矢を撃ちすぎて血で指先が滑るわけでもないのに外すわけないだろ、この石田は師匠(せんせい)から指導を受けていない可能性があるので知らんが。(※一応補足しておくとバスが虚までの障害物となっていた。が、涅マユリに「天才」と称される原作の石田なら正確に狙えるはず。石田がきめてしまうと一護がとどめを刺せないので展開上仕方ないといえばそうだが)
最後に、グランドフィッシャーを倒した後恋次戦にすぐ移行するので雨が降らない。真咲ママが殺された日も雨が降っていて、一護が決着をつけた時も雨が降り対応していたがそれが無視されている。(原作19話の副題は"memories in the rain"となっており雨の描写が重要な意味を持つことがよくわかる)
情景描写は登場人物の心象を表現する大切な技法の一つであることを中学校の国語の時間に習わなかったのだろうか。
~まとめ〜
原作ファンとしては怒りを覚えた作品となった。映画としてはアクションシーンの見せつけがひどく胸焼けした。製作者の「どや!アクションシーンすごいやろ!」というエゴがちらつく。私もアクションシーンを賞賛してはいるが、恋次が始解してからカメラワークが単調でつまらない。ただ冒頭の喧嘩シーンはライティング、カメラアングル、アクションどの要素においても絶賛したい(一護がただの不良1人に背後をとられることに不満はあるが茶渡の登場シーンとなるので良しとする)。しかし、技術的なことは最近の邦画の一般レベルに思える。
どうしても気になる方はレンタルで旧作が出るのを待ってほしい。映画BLEACHTwitter公式アカウントのRTに騙されてはならない。そもそもあのアカウントはチャラチャラしすぎて個人的には腹が立っている。
久保帯人先生が公式メッセージを出しているので信頼している方もいらっしゃるかもしれないが思い出してほしい、永井豪先生も諫山創先生も自作の実写映画に関して高い評価を発信している。
以上、非常に長くなったがこれにて終わりとさせいただく。
もしこんな所まで読んでくださっている方がいらっしゃるのであれば感謝しかないです。ありがとうございました。